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たまたま尖沙咀のあたりを一人で歩いていた。
ネイザン・ロードを重慶マンションのあたりで北京道に折れ、
「天使の涙」でレオン・ライがカレン・モクと出会ったマクドナルドの前を通って、
オーシャン・センターの方へ。
通りに面したHMVからはフェイ・ウォンの北京語の歌声。
まったく、尖沙咀にしても、夕べ夜中まで遊んだ蘭佳坊にしても、
この街は少し歩くだけで、たちまちスクリーンで見慣れた風景にぶつかってしまう。
狭い街にもかかわらず、
ハリウッドやインドと並ぶ映画の量産地として名をとどろかせているのだから、
当然のことかも知れないけど。
香港の散歩は、まさしくデジャ・ヴュの連続だ。
声高に「ニセモノドケイ」を売りつけようとする物売りをかわしながら
(なぜ彼らは日本人とロコをあんなに目ざとく見分けるのだろう)、
ぼくはずっと考えていた。
香港を語る時に必ず付属する形容詞、「元気」ということについて。
そう、この街は本当に元気だ。
そしてこの街に来ると、なぜか僕自身までえらく元気になってしまう。
朝早くホテルを出て、昼食をとった以外には全然休みもしないで歩きっぱなしなのに、
ぼくの脚はこのまま世界の果てまで歩いてゆけそうなのだ。
しかも、周囲の人々のスピードにつられて、歩く速さはどんどん速くなってゆく。
高層ビルの谷間から狭い空を見上げると、
雲までが大陸からの風に流されてびゅんびゅんと飛び去ってゆくのだ。
この街にとどまり続けるかぎり、
ぼくはこんなふうにずっと元気でいられるのだろうか。
この街で生きてゆくというのは、いったいどんな気分なのだろう。
休日ということもあって、尖沙咀の混雑ぶりは凄まじいの一語に尽きた。
無数の人々が、ぼくと0.1ミリの距離ですれ違ってゆく。
でも、ぼくにはその中の誰かと57時間後に恋におちることはない。
ぼくは3泊4日の旅行者にすぎず、
あと20時間ほどでこの街を離れなければならなかったからだ。
そう考えた時、「香港に生きる」ということの意味がわかったような気がした。
この狭い街、この街を支配するスピード、溢れる人の群れ、
たぶん1年もこの街で暮らしていると、
香港中の人々すべてと一度はすれ違ってしまうんじゃないだろうか。
王家衛が「恋する惑星」で刑事モウに最初に語らせたモノローグは、
逆に言えば、誰と恋をしても、
それは数時間前にすれちがった相手にすぎないということなのかもしれない。
「香港に生きる」ということ、
それはすべての人々との出会いを可能性として準備された街に生きるということなのだ。
ただし、それは可能性にすぎない。
実際にひととひとが出会って、
互いに理解しあうことができるかどうかとはまったく別の問題である。
逆に言えば、無数の可能性の中から選択されたものだけに、
実際の「出会い」はむしろ奇跡に近いものとなるだろう。
王家衛は、その都市の奇跡を、さまざまな物語の名のもとに描き続ける作家である。
彼が自分の作品、それがたとえ悲劇的な作品であっても、
ラストーンは必ず「救い」で終わらせるのは、
きっと彼自身がこの奇跡をどこかで信じているからだろう。
<略>
実はこの文章を書いているのも、香港が中国に返還された7月1日の当日であり、
テレビをはじめとして、マスコミはまさに香港報道一色と言ってもいいほどだ。
しかし、この原稿が活字になり、番組が放送されるころには、
自戒も込めて言うが、日本のマスコミの常として、
香港のことなどすっかり忘れ去ってしまうかも知れないことをぼくは恐れる。
本当に大切なのは、
チャールズ皇太子と江沢民主席のスピーチ交換のセレモニーなんかではなく、
7月1日以後の香港がどう変化し、
あるいは変化しないのを見極めてゆくことだと思うからだ。
これからの香港の行方については、さまざまな予測があるだろう。
返還によって、香港が中国化するのではなく中国が香港化するだけだとか、
先進資本主義が共産化され、
50年後にはマルクスの予言が真の意味で初めて実現されるだとか(これは極論だよね)。
ただ、香港がどう変化するにせよしないにせよ、
それを判定するだけの基準が必要だ。
今回の特集でお届けする6本の映画は、
1世紀半にわたる植民地時代の最後の7年に制作された
「現在の香港」を描いた作品ばかりである。
その意味ではこれらの作品はひとつのスタンダードとして、
記憶にとどめておかなければならないものだと言えるだろう。
そしてまた、この6本の作品に通底しているものは、
ありふれた言葉だけど、「希望」という2文字の言葉だ。
これらの作品を作った人たちの映画的創造力と、これらの作品を見るぼくたちの映画的想像力は、
きっと香港の行く末に対して、常に水先案内人の役割を果たしてくれるに違いない。
それが映画の持つ力なのだ。
先日、一連の王家衛監督作品の配給元であるプレノン・アッシュの篠原さんと
話していた時のことだ。
「恋する惑星」のセルビデオやLDを買った、多くの女性たちから
「嫌なことがあった時や落ち込んでいる時に、この映画を見ると元気が出るし勇気づけられる」
という意味の手紙がよく届くという話題になった。
ぼくもまったく同じことを感じていたので、その話はとてもうれしかった。
ヒーリングとしての香港映画。香港という街はそれ自身が元気にあるふれているばかりではなく、
数千キロ離れたこの島国にまで元気を運んできてくれる。
そして、僕はあの日の雲を思い出したのだ。
あの日ぼくは、フェイ・ウォンの國語歌謡が流れるHMVの店先で人と待ち合わせるふりをして
(そうでもしなければ立ち止まることすらできやしない)、しばらく空を眺めていた。
フィルムを高速回転したみたいなスピードで、
次々にヴィクトリア・ピークの向こうに流れてゆく白い雲。
それは「映画」という風に乗せられて日本まで届く香港の「元気」のようだった。
注)この時放映された映画は以下のとおり。
・欲望の翼
・恋する惑星
・天空小説
・アンディラウのスター伝説
・黒薔薇VS黒薔薇
・てなもんやコネクション
この文章は、よみうりテレビ発行の「シネマ・ダイスキ 44」を引用させて頂きました。
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