| HISTORY |
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96年、「新秀歌唱大賽」に参加し
芸能界デビューを果たしたパトリック。
今年(2004年)、彼はデビュー7年目を迎えます。
長い間、TVBの児童番組で司会者を勤め、
俳優としてテレビドラマ、映画にも出演、
また、歌手としても6枚のアルバムを発表しています。
芸能界で幅広く活動をする彼の名前を
今でこそ、知らない香港人はいないかもしれません。
でも、順風満帆に見えるその影には
実は色々な苦労があったようです。
パトリックがカナダの大学Year2に在学していた時、
母親が失業、お姉さんも家を出るという事態が発生。
その当時、妹さんはまだ学生でした。
途端に家計は火の車。
パトリックの学費もすぐに払えなくなり、
香港に帰らざるを得なくなりました。
でも、カナダ留学中から、
様々な歌のコンテストに出場して
まずまずの成績を修めていた彼は、
香港に戻って「新秀歌唱大賽」に参加しようと考えます。
「僕はずっとコンテストで勝ってる。
勝ったら、歌手になることができる。
そしたら、たくさんお金を稼ぐことができる。」
当時、そんな風に考えていたと語っています。
でも、パトリックの自信とは裏腹に
結果は、8強に入っただけでした。
ライバルは皆兵揃いで、
パトリックの完敗だったようです。
厳しい現実を目の当たりにしたパトリック。
彼は途端に今後の事が心配になりました。
彼の心配は、
明星になれないと言うことではなく、
歌手としてお金が稼げないと言うこと。
家族を養っていけないと言うことに対する不安からくるもの。
家族を養うために「新秀歌唱大賽」に参加はしたものの、
結果は失敗。
お金をたくさん稼ぐと言うことは
そんなに優しいものではないと言うことを
十二分に思い知らされたようです。
そんな折、
TVBから子供番組の司会者というチャンスが。
神様は彼を見捨てなかった。
そのチャンスが結果的に
彼と、彼の家族を救うことになりました。
当時の給料は、7,000HK$。
決して多いとは言えない額ですが、
仕事もあり、収入もある。
彼自身、まずまず満足していたようです。
念願の芸能界デビューを果たし、
仕事も、収入もまずまずとなれば
いい部屋を借りたり、
新しい車を買ったりするもの。
でも、彼は違ったようです。
なぜなら、彼は家族を養っていかなければならなかったから。
当時、家族と住んでいた旺角の唐樓の家賃も、妹さんの学費も
すべてパトリックが払っていたようです。
そんな風な事を考えるのはよくないと
彼自身が一番分かっていたのでしょう。
当時、彼が一番恐れていたのは仕事が無くなること。
そうなれば、家族が食べていけなくなる。
当時の彼は、ただただ一日一日を過ごすと言う生活だったようです。
そう言った苦境を乗り越え、
主役ではないものの多くの機会を得たパトリック。
彼の名をより一層有名にしたのが
00年のテレビドラマ「男親女愛」。
このドラマを境に、
彼の名は多くの人に知られるようになります。
多くの人は明星になることが夢だと言うけど、
彼にとっての夢は明星になることではなく、
彼の夢は、許志安の様になること。
そうなれれば、彼は満足だと語っています。
でも、安仔の様に人気者になりたいと言うのではなく、
彼は、安仔の様に家族に家を買ってあげたい
そんな風に考えているのです。
そうできれば、満足。
なぜなら、彼自身、それが彼の責任だと考えているから。
「成功需苦幹」
成功するためには、一生懸命頑張ることが大切。
苦労を重ね、現在の成功を手にした彼だからこそ、
人一倍、その大切さが分かるのかもしれません。
常に一生懸命なパトリック。
彼が本当に追求してるものは何なのでしょう?
彼の今後の活躍の中に
その答えはあるのかもしれません。 |
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